その後、平和記念公園へ。この碑は日本の厚生省が建てたもので、碑はまっすぐ日本の方角を向いている。戦時中、飲み水に困った兵士があの世で水に困ることがないよう、碑の両側には雨水受けがついており、水が流れるようになっている。
The way to the Park, which was completed damaged by the typhoon in 2013 was repaired for the visit of Japanese Tennou. On the runway, a landing place for helicopter was made. Among the jungle, Zero fighter still remains by now.
平和記念公園に至るまでの道は、2013年の台風の被害で大幅に壊れ、通れなくなっていたものを天皇皇后両陛下の訪問に合わせて復旧され、滑走路にはヘリ発着用のアスファルトが敷かれたそうである。ジャングルの中にはこうして日本軍の零戦もそのまま残っている。
We finally headed for Nakayama, Ooyama where the Japanese solgiers kept contronting and fighting. There is 200mm cannon settled but unused.
最後に向かったのは日本軍が最後まで抵抗し、戦いつづけた、中山、大山。使われることのなかった200ミリの大砲も設置されている。
Japanese troop utilized the narrow valley geography, dug caves and hid themselves during the day, and came out at night and fought against American soldiers. A memorial monument stands where they say Japanese Colonel Kunio Nakagawa killed himself in the end. All of us raised the incense, kneed down and met palms together in turn.
ここでも日本軍は地形を利用し、洞穴を掘って日中は隠れ、夜襲をしながらアメリカ軍と戦った。その兵を率いた中川大佐が自決をしたと言われているところに鎮魂碑が作られている。ここでもわれわれ全員がお線香を上げ、手を合わせた。
In front of Ooyama Peleliu shrine was built by Japanese volunteers. 45,000 American soldiers and 10,000 Japanese. Only 34 Japanese soldiers came home finally.
この大山の正面に、日本人有志による出資で建てられたのがペリリュー神社。アメリカ軍4万5千の兵に対し、日本軍1万。この戦いで最終的には投降して日本に帰国したのが34名。
In Japan, they only way that the War is bad. But they do not teach in school why and how it started. They do not teach neither, there were many Japanese soldiers who fought to delay American attack on Japanese main island as much as possible in desperate situation. Even many people really believe that Peace Constitution will keep Japan safe and should not change it, and just saying loud "Peace". In this way, we cannot even avoid possible war in the future without deep consideration by only Japanese, not by United Nations, why the last War happened, and why we had to fight.
日本では戦争はダメだという話ばかりが先になる。でも、どうして戦争になったのか、そういうことを教えない。ペリリュー島を含む南の島々で、アメリカの日本本土への上陸を一日でも遅らせようと、絶望的な戦況の中で戦った兵隊のことも教えない。 多くの日本人は平和憲法を守りさえすれば日本は平和でいられると本当に信じていて、憲法を時代に合わせて修正していくことに反対している。どうして起きたのか、どうして戦わなくてはいけなかったかを、日本人だけで考えられるようにならなくては、もしも将来戦争になりそうになったときに防ぐことができない。
After 70 years reports from American side is now opened, in Japan research of books which were prohibited publishing under GHQ time. I really like many Japanese visit Palau. As our tour guide told us that he does work for that.
戦後70年経って、アメリカで当時の記録が公開され、日本でもGHQ時代に発禁扱いになった書物の研究も進んでいる。ネットで情報を取ることもできるが、日本人には是非ペリリュー島に実際に行ってもらいたい。ツアーガイドの方もそう言っていた。一人でもたくさんの日本人に伝えたい。そのために仕事をしていると。